木村秋則さんは「奇跡の人」ですね!

映画「降りてゆく生き方」を観に行ったレポートです。
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恥ずかしい話です。
生まれて初めて「三軒茶屋」駅で降りました。そこから、さらに初めて「世田谷線」に乗りました。
いわゆる「三茶(さんちゃ)」という場所に立ったのです。田舎者丸出しです。

大都会にやってきた理由ですが、それは、武田鉄也さんと木村秋則さん(奇跡のリンゴ)にお会いするためです。
東京都内で地熱住宅を建てている「渡辺ハウジング/渡辺社長」さんと一緒に観に行ってきました。(武田鉄也さんと木村秋則さんの写真は渡辺さんが撮影したものです)

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「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんと武田鉄也さんのトークは、50歳を迎える私にとって、とても役立つ内容でした。

人類史上、初めて「無肥料・無農薬」でのリンゴ栽培に成功した木村さん、底抜けに明るい方でした。私には想像もできないほどの苦労を経験されていながら、あの「明るさ」は凄いの一言です。

木村秋則さんも凄い人ですが、奥さんと義父(奥さんのお父さん)も凄い人だと知りました。
婿さんが、いままで誰もやったことがない「リンゴの無農薬・無肥料での栽培」に挑戦することを話した時、お父さんは一言、「いいよ」
かぁ~、凄い親父さんです。

武田鉄也さんと木村秋則さんのトーク内容をまとめてみると;

(武田さんが木村さんの経験を引き出す方式でしたので、下記の内容はほとんど木村さんがお話されたものです。暗い中でメモを取り、面白い内容のところではメモが全くとれず、そのため、下記の内容は不正確なことが書かれている可能性があります)

・青森県では、120年ほど前からリンゴの栽培が開始された。最初から「リンゴ栽培は農薬と肥料がないと無理」と考えられていたため、大量の肥料と農薬を投入するのは当たり前の手法だった。ちなみに、リンゴの木に最も大きな被害を与えるのはハマキムシとのこと。

・一度は青森から東京に出てエンジニアとして働いていた木村さん、青森に戻るとリンゴ農家に婿さんとして迎えられた。しかし、奥さんは農薬に弱いらしく、農薬散布後、漆にかぶれたように手足がむくんでしまう。「もしかしたら、農薬に弱いのか?」

・1,2年経っても、奥さんの「農薬散布後の症状」がおさまらない。
「リンゴ作りをやめるか」もしくは「農薬をやめるか」

・雨の日、とある本屋で目当ての本を探していた。目当ての本が棚の上の方にあるので、それを取ろうとしたら、別の本がくっついて2冊一緒に落ちてきた。目当ての本はキャッチできたが、別の本はキャッチできず、濡れた床に落ちてしまい、本は汚れ、カバーが傷ついたため、別の本を買わざるを得なかった。その本が【自然農法論】(福岡正信氏著:米と麦を無農薬で栽培する内容)。

・自宅に戻って、その本を読んでみたところ、リンゴの事は全く何も書かれていなかった。怒った木村さんは、その本をタンスの上に放り投げた。

・奥さんの症状は改善しない。相変わらず腫れたままだ。もう一度、あの本を読んでみようか。【自然農法論】を1ページ1ページ丁寧に読んでいったが、やはり、リンゴの無農薬栽培については何も書かれていない。前例が無いのか?(実は、後でわかったのですが、人類史上、リンゴの栽培を無農薬・無肥料で挑戦した人は誰もいなかったのです)

・しかし、木村さんの心の中では「どうしてもリンゴの栽培を無農薬でやりたい・・・!」という気持ちがどんどん強くなり、ある日義父に相談することになった。(婿さんですからね、私が勝手にやるわけにはいかないのです、とおっしゃっていました)
家族で晩御飯を食べる時、そっと親父さんに相談しました。
「無農薬でやりたい・・・」
すると、あっさりと「いいよ」と義父が言った。木村さんは、反論された場合にどのように返答すべきかを想定していたのに、あっさりとOKが出たので拍子抜け。しかし、これが【地獄の入口】へ。

・無農薬で栽培をスタートした初年度、6月末までは順調だった。若干、以前の畑よりは「虫が多いな」とは思ったものの、順調にリンゴの木は葉を茂らせていた。「あれっ?なんだか簡単にできてしまうのかな?」と思ったものの、7月に入ると葉が黄色に変色していった。葉が落ちる量が尋常ではない。8月には全ての葉が落ちてしまって、9月には、季節外れの「花」が満開になる。この時期に花が咲くということは、来年はリンゴの実が全くならないという事。

この間、農薬の代わりに、人が食べる物(醤油・ニンニク・ねぎ・玉ねぎなどなど)を液状にして葉にふりかけたが、全く効果無し。

木村さん曰く
「あの時は、農薬の代替え品を探していただけだった。自分でも【農薬を散布して害虫を殺す】という発想から抜けきれなかったのだ。この考え方が根本的に間違っていた」と笑って話す。

・翌年もダメ、次の年もダメ。周囲からはかまど消しと言われる。(*「かまど消し」とは家を没落させる人という意味でしょう)
*この間の辛い経験等は話をされませんでした。しかし、想像もできない苦難があったはずです。全く収入が途絶えたわけですから。しかも、農薬と肥料をやれば、すぐにでもリンゴが実ることを知っていながらですから、心理的な葛藤は想像もできません。

・無農薬に挑戦してから6年目(つまり、6年間も無収入)、とうとう、木村さんは岩木山で自殺するため、2時間かけて山奥へ歩いていきました。木に縄をかけて首をつろうとしたものの、暗がりで縄を落としてしまいました。その時「あ~、無農薬は本当に失敗だった。農薬を使っていれば、こんな時、農薬を飲んで簡単に死ねるのに・・・」と思ったそうです。

その時、山奥に光り輝く【リンゴの木】と出会ったのです!
(このあたり、詳しい内容については、書籍「奇跡のリンゴ」をお読みください。感動的な場面ですので、私は書きません)

天啓を得た木村さんは、「農薬の代替え品を探していた自分」が根本的に間違っていることに気づきます。
そして、成功するためのヒントは、目の前の「山の中」にあることに気付いたのです。

・翌年、人類史上初めて「無農薬・無肥料」のリンゴが結実しました。
(このあたり、トークではいろいろと語られていましたが、やはり、本を読んで知ってください)

トークの最後に、武田さんと木村さんがこのように語っていました。

木村さん「人間は自然の中で生かされている」
武田さん「頭の良い人の作った世の中は役に立たないのではないか?」


私としては、下記の点で、深く感銘をうけたのです。

1)「奥さんへの愛」が奇跡のリンゴを成功させる素だったこと。
2)義父の凄いこと。
3)偶然に落ちてきた本(これが運命なのか!)
4)死を決意するまで、そこまで追いつめられるまで、そこまでとことん追究したこと。
5)人類史上初の大快挙を成し遂げた人であるのに、いまでも謙虚な木村さんの人柄と、その底抜けの明るさ


今の私ですが、はたして、そこまでの気持ちで仕事に取り組んでいるのでしょうか?
全く駄目です。
全然ダメです。

しばらくの間、木村さんを追いかけてみたいと思います。
6月18日、神戸での木村さんの公演に行きます。


余談1:
会場に入る際、いろいろと資料をいただきました。
その中に「化学物質過敏症」で悩む母子のドキュメンタリーのチラシが入っていました。
詳しい内容は下記をクリックしてご覧ください(↓)

化学物質過敏症に苦しむ母子のドキュメンタリー「いのちの林檎」を5月6日に観に行きます。


余談2:
公演終了後、たくさんの人でごったがえす中、映画に登場した「権藤市長」が立っていました。

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映画をご覧になっていない方は、「権藤市長って何者???」ですが、一言で説明すると「金の亡者」でして、悪い奴なのです、映画では。
その役者さん、写真でもお分かりの通り、大変パワフルな方です。声もデカイ!
悪徳政治家のイメージにぴったりの方なのです。
しかし、個人的には「生命力にあふれる人」に感じました。
あ~、私もこのような親父になりたいです!


余談3:
会場には、北朝鮮に拉致された「横田めぐみさん」のお父さん「横田滋さん」がいらっしゃいました。愛する娘さんを取り戻すため全力で戦っている日本で一番立派なお父さんです。
尊敬しております。