「あすみ住宅研究会」とは?

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あすみ住宅研究会」とは、「木曽東濃檜」という国産材としては最高ランクにある木材を産地直送システムによって、できるだけ安価に利用している工務店の集団です。
しかし、それは表面的な機能にすぎません。

以前は、産地から建築地に至る間に「木材問屋」が多数介在していました。そのため、産地での出荷価格とは比較できないほどの高額な材料になってしまった「木曽東濃檜」材を適正な価格で使用する「産地直送システム」はたいへん有意義なシステムです。
このような産地直送システムは「あすみ住宅研究会」だけではなく、他にも多くの組織が同様の取り組みをおこなっています。

実は、私(玉川和浩)もこのように認識していました。

「あすみ住宅研究会は、東濃檜の構造材を安く入手するための手段・組織にすぎない」
と思っていたのです。(*後で知ったのですが、これは大きな勘違いでした)
途中の木材問屋を通さなければ、檜や杉材を安く入手できます。さらに、木材のプレカット工場が住宅の間取り図面に適合するように「土台・柱・梁」を加工してくれます。つまり、「安い・手間いらず」の便利なシステムであるとだけ認識していました。

以前、あすみ住宅研究会の会合等は全て義父(玉川浩二氏)が出席していました。2か月に一度は会合がありました。また、義父は定期的に岐阜県や長野県の産地の人達(林業に関係している方)とも情報交換をおこなっているようでした。

「あすみ住宅研究会は確かに便利なシステムだけれども、なぜ?あのように会員さん達が頻繁に集まっているのだろう?何をやっているのだろうか?」
と、正直、疑問に思っていました。
「工務店経営者は孤独だからなぁ~、仲間と頻繁に会って、お酒でも飲んでいるだけだろう」ぐらいにしか思っていませんでした。

しかし、ある時、義父と仲間の人達と一緒に花見をする機会がありまして、その時、「あすみ住宅研究会」設立のきっかけとなった話を聞いて、私の認識は一変したのでした。

義父とその仲間の人達から聞いた話をもとに、「あすみ住宅研究会 設立秘話」を再現してみます。


・戦後、戦争により焼け野原と化した都市部では圧倒的に住宅が不足していました。国内の木材は住宅建設のため不足するようになり、国は植林事業を推進し、特に生育が早い杉材を中心に植林が進められました(これが、将来、国民病とも言われる杉花粉症を招くことになるとは誰も思わなかったことでしょう)。

・戦後から高度経済成長期にはいると、今度は古い家を建て替える(スクラップ&ビルド)ことが盛んになります。(日本の住宅の寿命は20年程度などと言われたのもこの時期です)
高度経済成長期の終焉から昭和50年代中ごろまでは、住宅は建替えだけではなく、土地造成と一緒に新築も多く建てられることになります。戦後から平成10年ごろまでは、とにかく、日本では多くの住宅が建てられたのです。
そのため、全国には「工務店」という会社形態が増え続けました。工務店以外ではハウスメーカーと言われる全国組織の住宅建築会社が増えてきました。

・昭和50年代中ごろにはローコスト住宅と呼ばれる家造りが流行しました。「日本の住宅は高すぎる!」というスローガンのもとに「できるだけ安く、できるだけ早く建てる住宅」がもてはやされるようになったのです。

・一方では、輸入材が激増してきました。戦後植林した木材が成長するのを待つのではなく、商社が東南アジア等から木材を大量に輸入して、それが住宅用建築資材として中心的な位置をしめることになります。(私が大学卒業後勤務した商社でも「アジア貿易部」という部署がありまして、そこではマレーシアから大量の木材を輸入していたようです)

・つまり、外国から輸入した安価な木材を利用して「できるだけ安く、できるだけ早く建てる住宅」が流行しつつある住宅業界において、義父は非常にシンプルな悩みを抱えたそうです。

「俺が造りたい家はローコスト住宅なのか?」

・当時、たまたま知り合いになっていた7社の工務店経営者(義父を含めて7社です)が、たびたび、原宿(なぜか東京/原宿だったそうです。場所的に集まりやすかったのでしょうか?)で話し合いをおこなったそうです。
その時のテーマは、やはり、【俺達が造りたい家はローコスト住宅なのか?】であったそうです。

【安い輸入材と新建材を使い、同じデザインの家をできるだけ早く造ること】を決して否定したわけではないそうです。時代がそれを求めていたのですから、決してローコスト住宅が悪い家であると思っていたわけではないのです。
7人の経営者は「好きか嫌いか」、つまり、ローコスト住宅を「建てたいか、建てたくないか?」で悩んだそうです。経営者として、会社に一定の利益を残すためには、お客様に人気のあるローコスト住宅をやる必要がある。しかし、それをやり続けたいのか?

・7人の経営者は、「ローコスト住宅はやりたくない」という結論に達したそうです。つまり、自分達が楽しめる家造りをやっていこうじゃないか!という結論になったそうです。

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・そこで、「自分達が建てたい住宅は何か?」を考え続ける最中に義父が言いだしたそうです。「俺が好きなのは国産の檜材だっ!」
7人は全国各地の檜の産地を見学しに歩き回ったそうです。
ある時、岐阜県坂下町(現在、岐阜県中津川市坂下)の町長さんと一緒に露天風呂に入ることがあったそうです(そのキッカケがなんであるかを誰も思い出せませんでしたが・・・)。風呂の中で、町長さんは「岐阜県の東濃檜」がいかに素晴らしい木材であるかを話し始めました。温泉にのぼせながら、7人は町長さんの話に聞き入ってしまったそうです。

「ここの檜が使いたい!」

非常に単純な話です(笑)。
全国各地の檜材の価格/品質を全て吟味してだした結論ではなく(笑)、露天風呂の中で聞いた話から直感で「これだっ!」と決めてしまったそうです。

・当時、岐阜県坂下町には、小さなプレカット工場が完成したばかりだったそうです。昭和50年代の終わりごろ、構造材をプレカットするという概念は浸透していませんでした。大工さんが1棟ずつ手刻みで構造材を加工していく、これが正しいと誰もが思っていたのです。
そのため、当初は「東濃檜の角材を産地から各工務店に販売する」という単純な産地直送システムを検討していたようですが、坂下町には偶然にもプレカット工場ができたばかりでしたので、「産地のプレカット工場で構造材を全て加工して、その加工した東濃檜材を建築地に直接搬入するシステム」に変更したそうです。この方法であれば、産地は単に東濃檜を販売するだけではなく、プレカットする手間代を稼ぐことができます。プレカット工場での雇用も確保できます。

・当時、日本の林業は衰退しかけていました。輸入材が大量に安価に入り込んできたため、国からの補助金無しでは林業という業態が成立しない状況になっていたのです。町長さんもその窮状を訴えたようです。そこで7人の経営者は一つの掟を決めました。

【産地(山地)を守ることが最優先である!】

・産地直送システムを継続させるためには、50年先も100年先も、その産地とプレカット工場が継続していなくてはなりません。東濃檜を丸太のまま購入して、自社の地元にある製材所/プレカット工場で加工させた方が最終的な材木価格を安価にできます。余った材料から床材や家具も作れば、さらに安上がりにできます。自分達の利益を考えれば、東濃檜を丸太で安く買う方が良いのです。経営者としては当然の選択です。
しかし、7人は「岐阜県坂下町」も加工手間によって稼いでもらうことを選択しました。

 「工務店」(+施主) ⇔ 「坂下町」 ⇔ 「林業(山地)」

この全てが共存共栄していくことを【掟】としたのです。

・昭和59年、「あすみ住宅研究会」が設立されました。
7人の経営者が定めた【掟】は、その後、さらに詳しく明文化されることになります。
それが「あすみ会宣言」です(↓)


【あすみ会 家造り宣言】

私たちあすみ会会員は、各会員の暮す地域社会の一企業市民として、真により良い家造りを行うことで、地域社会共有の財産を形成していくために次のような宣言を行い、会員共通の家造りの思想とする。

1.私たち「あすみ会」会員は、循環型社会の構築に貢献するために、国産材を活用した家造りを積極的に進めていくことをここに宣言する。

2. 私たち「あすみ会」会員は、自然な材料だけが発するリズムの安らぎや、木の持つ力を最大限に引き出すために、積極的に天然のムク材を使用した家造りを進めることをここに宣言する。

3. 私たち「あすみ会」会員は、山と町、生産者と消費者を結びつけることで、健全な山(木)と、健康な町(家)を取り戻すことに最大の努力をすることをここに宣言する。

4. 私たち「あすみ会」会員は、会員の住まう地域の伝統民家の持つ伝統性を尊んでいく。伝統とは地域社会の人々が共有し続けた時間の経過の中で整理され完成されてきたものであり、その貴重な流れを重視した家造りを目指すことをここに宣言する。

5. 私たち「あすみ会」会員は、住宅は50年~100年の長きに渡って使いつづけるものであることを前提として、出来あがったときが最も美しい住宅よりも、時間の経過とともに「味わい」という美しさが増していくような「経年美」がある家造りを行うことをここに宣言する。

6. 私たち「あすみ会」会員は、社会組織の最小単位としての家族が、家族としてうまく機能していくためには、住宅の果たす役割が大きいと考える。そして「思春期の子供たちを下宿人にしない」ために、「家族のコミュニケーションが自然に行えるような家造り」を目指すことをここに宣言する。

7. 木造住宅は「地震や火事に弱い」と思っている人々が多い。私たち「あすみ会」会員が阪神・淡路大震災から学んだものは、どの構法を選ぶかではなく、誰がどのように造るかが重要であるということであった。あすみ会会員工務店は、日夜「木を科学」し地震や火事にも強い家造りを目指すことをここに宣言する。(木を科学し木の力を最大限活用する)

8. 私たち「あすみ会」会員は、地域の住生活産業の担い手として、自ら造った家が使われ続ける限りメンテナンスや改修、営繕が滞りなく行える体制を持ちつづけるように全力で努めることをここに宣言する。(ライフサイクルコストへの配慮)

9. 私たち「あすみ会」会員は、住宅性能表示制度による高ランクの住宅が必ずしも良い家だとは考えない。あすみ会会員工務店は、最も重要な構造躯体の基本的性能には妥協しないが、無機的な工業製品の持つ金属的性能の高さを求めるのでなく、自然素材の持つ温もりや安らぎこそが重要であるとの思想のもとに、家造りを行うことをここに宣言する。

10. 私たち「あすみ会」会員は、この「あすみ会宣言」を実現するために、会の結束を更に強め、会員同士が宣言に共鳴し、団結して努力することをここに宣言する。


・この宣言をもとに、単に「檜の産直活動」をおこなうだけではなく、山を守る人達と消費者(お施主様)を結び付ける事業もおこなっています。
それが、

我が家の大黒柱と出会う旅(毎年、3月・9月・12月に実施)
檜の植林事業(毎年、3~5月の間に1回実施)

です。
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・「あすみ住宅研究会」を設立した7人の経営者のほとんどは引退されています(3人の先輩は活躍中です)。この7人の経営者の理想を引き継いだ私達は、はたして、20年後の後輩達にその思いを伝えることができるのでしょうか。がんばっていきたいと思います。